ニッコール千夜一夜物語

第四十四夜

No.44

名実ともに標準となったF1.4レンズ

Nikkor-S Auto 50mm F1.4

私が写真やカメラに興味をもち始めた1970年代、一眼レフの標準レンズといえば50mm F1.4であった。もちろんカメラメーカー各社とも、50mm F2や55mm F1.8などの少し暗いレンズもラインナップしてはいたが、どちらかというとF2やF1.8は普及レンズであり、カメラ店でも予算が許せばF1.4レンズの方を決まって勧めていたものである。

今では忘れられてしまったことだが、ライカに代表される距離計カメラの時代には、標準レンズの明るさはF3.5やF2.8、時代が下ってもせいぜいF2であった。もちろんその当時もF1.5のような明るいレンズも用意されてはいたのだが、暗所撮影用の特殊レンズといった位置づけであった。

それがなぜ一眼レフの時代になって、F1.4レンズが標準中の標準レンズになったのだろうか?

大下孝一

それには、撮影レンズがファインダー対物を兼ねる一眼レフの構造にも一因があったであろう。初期の一眼レフのファインダーは今の一眼レフに比べて大変暗く、ファインダーの明るさを確保するためには明るい撮影レンズが必要だった。また、一眼レフ化でボディーが大型化したことから、バランス上、レンズの大きさに寛容になったことも見逃せない。

しかし、これだけでは十分な理由とはいえない。一番大きな要因は、F1.4のレンズが、開放はもとより絞り込んだ場合でも、より暗いレンズに比肩する光学性能を身につけたからなのである。

読者の皆さんの多くは、「明るいレンズ=高性能レンズ」という認識でおられることと思う。今日のレンズについていえば、それは概ね正しい。開放では大口径ならではのボケが楽しめ、絞り込めば一段暗いレンズと同等の光学性能が得られる。私個人も、予算や大きさが許されるなら、できるだけ明るいレンズをお勧めしたい。

しかしレンズ設計の立場から見ると、その当時は必ずしも明るいレンズが高性能で万能なレンズであったとはいえなかった。それは明るいレンズになるほど、レンズ枚数が増えてゴーストやフレアーが増加してしまうことに加え、絞り開放状態と絞り込み状態の収差バランスをとることが難しいためである。そのため、いわゆるクラシックな大口径レンズでは、絞りを絞った状態(=多くの撮影シーンでは絞り開放で撮影しないだろう)では、より暗いレンズに比べ光学性能面で劣ることが多かったのである。もちろん、レンズの大きさや価格の高さがハードルになっていた面もあったろうが、明るいレンズが特殊レンズの地位に甘んじていたのは、そうした問題を抱えていたからであった。

このような大口径レンズの欠点を払拭し、F1.4のレンズを標準レンズの地位に引き上げるきっかけとなったのが、今夜紹介するNikkor-S Auto 50mm F1.4である。

Nikkor-S Auto 50mm F1.4

Nikkor-S Auto 50mm F1.4断面図

50mm F1.4が世に出る少し前、1960年に発売されたNikkor-S Auto 5.8cm F1.4は、ニコンにとって必ずしも満足すべきレンズとはいえなかった。

ひとつは、5.8cm=58mmという標準からやや逸脱した焦点距離である。当時、一眼レフの標準レンズは55mmあたりの焦点距離が一般的だったので、5.8cmという数値はさほど見劣りするものではなかっただろう。しかし、カメラメーカーとして後発組のニコンにとって、他社への優位性を示すためには、50mmの標準レンズを実現することが至上命題であった。この50mmへの強いこだわりは、前玉に弱い凹レンズを付加してバックフォーカスを確保した、Nikkor-S Auto 5cm F2からもうかがい知ることができるだろう。

また5.8cm F1.4は、光学性能面でもさらに一段の改良が必要だった。第四十夜のおさらいになるが、中間部から発生する大きなコマフレアーと像面湾曲のため、Nikkor-S Auto 5cm F2に比べると見劣りする描写であることは否めなかった。

これらの課題を克服すべく、50mm F1.4レンズの開発がスタートする。設計を担当したのは、脇本さんと清水さん。設計の開始は、脇本さんがNikkor-H Auto 28mm F3.5の設計に一段落をつけた1959年頃であったろう。そしておよそ3年の歳月をかけて完成したのが、Nikkor-S Auto 50mm F1.4である。写真1に外観図、図1にレンズ断面図を示す。

第四十夜に紹介したNikkor-S Auto 5.8cm F1.4の断面図と比べると、絞りより前側の凸メニスカスレンズが1枚減り、絞りより後方に凸メニスカスレンズが1枚付加されている。この絞り後方の凸レンズを2枚で構成するというアイデアは、28mm F3.5の設計時にひらめいた発想ではなかったろうか?レトロフォーカスタイプの広角レンズでもコマ収差の補正で苦労したが、28mm F3.5のように最後の凸レンズを2枚で構成することによって劇的に改善できた。そこで「これはバックフォーカスの長いガウスタイプの設計にも使えるのではないか」と脇本さんは考えたに違いない。アイデアは見事に当たり、中間域で暴れていたコマ収差がすっきり補正され、像面の平坦度も満足のいくものとなった。開放ではさすがに一段暗いNikkor-S Auto 5cm F2よりフレアーが多いものの、絞り込めば同等以上の光学性能をもつF1.4レンズが完成した瞬間である。

生産の合理化

このレンズの開発には、もう一つエポックメイキングな出来事があった。ポット修正の廃止である。

その昔、光学ガラスは「ポット」と呼ばれる「るつぼ」を使って生産されていた。ガラスの原料を配合してポットに入れ、高温の釜で溶かしてガラスを作るのである。しかし当時は、同じガラスを溶解する場合、同じ屈折率になるように材料を調合するのだが、どうしてもばらつきが出てしまう。そこで設計者は、ポットの溶解ごとに変化した屈折率を元にシミュレーションを行っていた。そして、収差量や焦点距離が設計値から変化しないよう、曲率半径を変更する修正設計をその都度行っていたのである。この確認と修正設計を、社内では「ポット修正」と呼んでいた。ガラスの溶解ごとに設計をやり直すので、設計者にも生産を管理する現場にも大きな負荷であった。

時代が下り1960年代になると、ガラスの溶解量も増え、かつ生産ばらつきも格段に減少してきた。これを機会に、生産数量の多いこのレンズについては、各レンズのガラス材料の屈折率許容値(公差)を定め、許容値内のガラス材料だけを使うことにして、シミュレーションによる確認と曲率半径の変更作業を廃止したのである。このポット修正の廃止によって、レンズの生産性は格段に向上し、かつ安定した生産が可能となった。この成功は、いわば手作りだったレンズの生産を、工業製品に転換させる大きな一歩であった。

レンズの描写

作例 1
NikonD40 Nikkor-S Auto 50mm
F1.4 → F2 1/4s ISO200 AWB
作例 2
NikonD40 Nikkor-S Auto 50mm
F1.4 → F4 1/30s ISO200 AWB
作例 3
NikonD40 Nikkor-S Auto 50mm
F1.4 → F4 1/250s ISO200 WB晴天

最後に、収差シミュレーションと実写の結果から、このレンズの描写を見ていこう。

このレンズの描写をひとことで言えば、「標準レンズらしい」ということだろうか。どの絞りでも破綻がなく、均質で良好な画が楽しめる。第四十夜で紹介した5.8cm F1.4に比べると球面収差が大きく、開放でのセンターのコントラストはやや劣るが、画面中間から周辺のコマフレアーが激減している分、画面全体で見るとより引き締まったシャープな画像に感じられる。

作例1は、F2に絞った夜景の写真である。F2では、DXセンサーの画面サイズでも周辺にややコマフレアーが認められる。フレアーはF2.8に絞り込むとさらに減少し、F4まで絞り込むと概ね消え、画面全体に渡って極めて切れのある描写が得られるだろう。

作例2は少々季節感に欠けるが、F4に絞り込んで撮影した紅葉写真である。DXセンサーの画面全域に渡って、均質でシャープな描写であることがおわかりいただけるだろう。

このレンズは単層コートであるため、逆光時や曇天時は、迷光によって画像がフラットになりやすいため、フードは必ず装着し、ハレ切りをしっかり行いたい。

作例3は、浜辺に咲くタチアオイである。このレンズの欠点は、開放状態のボケがあまり美しくないことが挙げられるかもしれない。球面収差が大きいため背景のボケがリング状になりやすく、また周辺のボケはビグネティングのためラグビーボール状に歪み、ボケが同心状に回転しているように写る場合がある。この作例のようにF4程度まで絞り込むことで改善、きれいなボケになるので、お試しいただきたい。

1962年に発売されたこのレンズは、目論見通り好評をもって受け入れられ、ニコンFの標準レンズとしての地位を築いていった。

その後1972年に多層膜化の改良がされ、1976年に光学系が一新されるまで、14年にわたって生産され続けたのである。Nikkor-S Auto 50mm F1.4はニコンFからF2時代のニッコールを代表する看板レンズであった。