ニッコール千夜一夜物語

第五十九夜

No.59

最も構成枚数の少ない大口径中望遠レンズ

Ai NIKKOR 105mm F1.8S

第五十九夜は100mm、105mmクラスで当時最も大口径であった「Ai-NIKKOR105mmF1.8S」を取り上げます。F1.8という、このクラスで最も大口径であったこのレンズは、最も構成枚数の少ないレンズでもありました。今日はこの大口径レンズの設計に隠された秘密を探ります。

佐藤治夫

ニッコール105mmF1.8の変遷

まずはニッコール105mmF1.8の変遷を追ってみましょう。ニッコール105mmF1.8が発売されたのは1981年9月のことでした。当初から新しいAiシステムの所謂Ai-Sレンズとして登場しました。時代はちょうど1年前に新発売されたニコンF3にリンクしています。後に時代はAFに移行していきます。その荒波の中で、ニッコール105mmF1.8はAF化できず姿を消していきます。後継としてAi AF DC NIKKOR 105mm F2Dが1993年9月に発売され、役目を終えるのです。販売年数は約12年でした。一種類の製品としては比較的ロングセラーであったと言えます。

開発履歴と設計者

Aiニッコール105mmF1.8Sの光学系を設計したのは以前第十三夜でご紹介した綱島親分こと、綱嶋輝義(つなしまてるよし)氏です。綱嶋氏は以前御紹介した森氏、清水氏と同じく、オールド・ニッコール全盛期を支えた設計者の一人です。日本の名設計者は一般に知られる事がありませんが、その足跡は報告書、開発履歴、ノート、パテント等によってとたどる事が出来ます。しかしながら、綱島親分は豪快な方です。報告書は書いていないこともしばしば。今回も調査と裏付け取りには難儀しました。どういう経緯で設計されたのか。このスペックは誰の発想なのか。どんな設計思想だったか。どれも正確にわかりませんでした。しかしながら、時代から推測するに、F3発売に合わせて、大口径レンズ群を一新する計画が見えてきます。85mmF1.4、105mmF1.8はその代表格だったと思われます。良い意味で、本当に105mmF1.8の設計には驚かされました。その秘密については後記することに致しましょう。

それでは、Aiニッコール105mmF1.8Sの開発履歴を見てみましょう。試作図面は1976(昭和51)年6月に発行されています。従いまして設計着手は1975~1976年初頭であったと推測いたします。量産に移行するのが1979(昭和54)年の紅葉薫る頃のことでした。そして満を持して1981年(昭和56年)9月に発売されました。

レンズ構成と特徴

図1

少々難しいお話をしますがご容赦ください。まず、Aiニッコール105mmF1.8Sの断面図(図1)をご覧ください。

読者の皆さんは、このレンズ典型的なクセノタータイプの光学系であることが理解できると思います。クセノタータイプは1951年にシュナイダーの発売したクセノター(Xenotar)が基に成っていると言います。前群がガウスタイプで、後群がトポゴンタイプの混血時と言う説明でした。ただし、同様の発想は戦前のZeissの特許からも窺え、どちらが元祖か悩ましいところです。このクセノタータイプは昭和30頃から50年頃までの間、中級レンズシャッターカメラに良く搭載されていました。私もこのタイプを幾つか設計しましたが、大口径化、大画角化の点では、バランス的にガウスタイプの方に軍配が上がると思います。ただし、解像力と言う点ではクセノタータイプは優れています。クセノタータイプは色収差のまとめ方にコツが必要で、F1.4~2クラスの光学系ではコントラストに難が出る傾向があります。また、後群の凹レンズの中心厚に、比較的に高い精度が必要でした。したがって、むしろ、ガウスタイプの接合レンズエレメントの方が安価になる可能性もありました。

また、「後群はトポゴンからの発想」と言う主張は正しいのでしょう。しかし、数々の設計事例を考察すると、後群はガウスタイプの接合レンズエレメントを、コストダウンのために凹レンズ一枚で置き換えたものとも考えられます。5枚構成でガウス並みの大口径化が実現できる。そんな魅力で中級レンズシャッターカメラ用レンズに最適だったに違いありません。今回取り上げた105mmF1.8もクセノタータイプですが、ほぼ同時期に設計された85mmF1.4はガウスとゾナーの混血時で、豪勢な構成になっています。設計自由度の観点から、なぜガウスでなくクセノターを選んだのか?なぜ6,7枚構成を選ばず5枚構成にしたのか?私にはそれが疑問でした。私には綱島親分がまるで修行僧のように、自ら過酷な試練を与えて、限界に挑戦したかのように思えたのです。良くF1.8の光学系を5枚で設計できたものです。まさに綱島親分の勝利でした。

さて、Aiニッコール105mmF1.8Sの収差的な特徴を見ていきましょう。まず初めに気が付くことは、非点収差が少なく、無限遠から近距離まで収差変動が少ないことです。球面収差は無限遠でほぼフルコレクションの形状を持っています。やはり、近距離収差変動は少なく、若干マイナスに変位する程度で著しい変化はありません。また、若干各色のコマ収差に差があり、クセノタータイプらしい色収差の傾向があります。しかし、何度も言いますが、F1.8の収差としては優秀で、良く5枚構成でこの収差補正状態をキープしたものだと感心するほどの収差補正レベルです。また、対称型のセオリー通り、歪曲はほとんど発生しません。

次に点像の状態を観察します。軸上から軸外に至るまで芯があり、ほのかに外方コマ収差傾向のフレアーが取り巻いています。クセノターらしく、割に解像感はあるがフレアーによって階調性が増し、柔らかい画質になることが予想されます。この傾向は撮影距離が近づくとより顕著になり、フレアーの出方はベス単レンズに似た傾向を示します。このことからも、ポートレートには適した収差バランスになっていることが分かります。まさにニコンが推奨し、こだわった105mmにふさわしい光学設計です。

それではMTFを観察しましょう。10、30本/mmのコントラストはF1.8のレンズとしては良好で、画面全域均一です。特に後ろボケ方向の深度が深く、後ボケの良好なボケ味が期待できます。ピント面は刻一刻とソフトになりますが、この傾向は近距離でさらに顕著になります。したがって、ボケ味も近距離でより良くなる傾向があります。また、周辺光量もたっぷり入っています。所謂ヴィネッティングの形が出る玉ボケも、比較的に良好だと思われます。

実写性能と作例

次に実写結果を見ていきましょう。各絞り別に箇条書きに致します。評価については個人的な主観によるものです。参考意見としてご覧ください。

F1.8開放

中心から周辺まで、比較的均一な解像感がある。際立って解像力が高いわけではないが、ポートレートには良いレベルである。若干のフレアーが全体にベールのように覆っている。色にじみが若干認められる。やはり今のシステムでは軸上色収差が目立つのは仕方がないところ。発色は良い。

F2.8

F2.8に絞り込むことによって、全体的にシャープネスが向上。特にフレアーが大幅軽減。解像感の増す。しかし適度なコントラストの圧縮は存続されており、像は固すぎる傾向はない。若干色にじみが残る。このあたりもクセノタータイプの特徴か。ポートレートにはF1.8~2.8が好ましいと思われる。

F4~5.6

フレアーが消失し周辺の解像感がさらに向上。ほぼ全域で満足できるシャープネスになる。色にじみも気にならない状態に改善。しかし、像が固すぎることはない。常用するならF5.6程度が望ましい。

F8~11

画面全体が均一な描写になる。特にコントラストが大幅に向上し、少々固くなる。F11が全絞り中最も良い画質。風景写真にはF11が好ましい。

F16~22

画面全体がさらに均一な描写になる。特にF22では回折の影響が確認でき解像感を若干損ねる。

シャープネスを期待するならF8~11の絞りで使用すると良好な結果を得られるでしょう。また、ポートレートで使用するならF1.8~2.8の間で使いたいところです。
それでは、作例写真で描写特性を確認してみましょう。

今回の作例もレンズの素性を判断していただくためにあえて倍率色収差補正、軸上色収差補正とヴィネッティング補正、シャープネス・輪郭強調の設定はしておりません。作例1から6は徐々に撮影距離を近づけて試写した作例です。撮影距離の描写の違いを検証できます。ボケ味の変化も必見です。また作例6では最至近近傍の描写が確認できます。

作例 1
ニコンD750 Ai NIKKOR 105mm F1.8S
絞り:F1.8開放 シャッタースピード:1/4000 sec
ISO:110
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日 2016年4月

作例1は遠景に近い作例です。顔や髪の毛の的なシャープネスは好感が持てます。現在のレンズに比べて若干シャープネスは弱いですが、むしろ自然に感じます。ボケ味も比較的良く、二線ボケは発生しませんでした。発色も良く、色収差もあまり目立ちませんでした。

作例 2
ニコンD750 Ai NIKKOR 105mm F1.8S
絞り:F1.8開放 シャッタースピード:1/4000 sec
ISO:100
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日 2016年4月
作例 3
ニコンD750 Ai NIKKOR 105mm F1.8S
絞り:F1.8開放 シャッタースピード:1/4000 sec
ISO:200
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日 2016年4月
作例 4
ニコンD750 Ai NIKKOR 105mm F1.8S
絞り:F1.8開放 シャッタースピード:1/4000 sec
ISO:250
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日 2016年4月

作例2,3,4は最もポートレートでよく撮影される撮影距離です。シャープネスとボケ味のバランスも良く、描写に破綻がありません。

作例 5
ニコンD750 Ai NIKKOR 105mm F1.8S
絞り:F1.8開放 シャッタースピード:1/4000 sec
ISO:160
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ポートレート
撮影日 2016年4月
作例 6
ニコンD750 Ai NIKKOR 105mm F1.8S
絞り:F1.8開放 シャッタースピード:1/4000 sec
ISO:100
画質モード:RAW
ホワイトバランス:オート
D-ライティング:オート
ピクチャーコントロール:ビビット
撮影日 2016年4月

作例5は至近に近い距離での撮影例です。この状態でも良好で必要十分なシャープネスを維持しています。作例6は最至近近傍の作例です。ピントの合う範囲はごく少ないですが、若干シャープネスが弱くなることに気が付きます。

全体を通してみた場合、大口径レンズにもかかわらず、実用上十分なシャープネスを持ち、良好なボケ味を持っていることが分かりました。比較的解像力があるので、画像処理を駆使することによりシャープネスをコントロールすることが可能です。立体感の改善や二線ボケ等を画像処理で直すことは難しいです。しかし、コントラストは自在に変更ができます。また、なだらかなボケは、若干輪郭強調をかけても(もともと輪郭が無いので)悪化しません。したがって、この画質のバランスはデジタル時代の今こそ適しているのかもしれません。

あなたは85mm派?それとも105mm派?

ポートレート用のレンズと言えば何mm?と言う問いに85mm!と答える方と105(100)mm!と答える方がいます。私はこの方々を85mm派、105mm派と呼んでいます。何を隠そう、私は昔から105mm派です。中学生から105mmF2.5の愛用者でした。もちろんどちらが良いというものではなく、撮影者の好み、嗜好の範疇です。しかし、なぜその二派に分かれるのでしょうか。ちょっと考察してみました。85mm派の方にその前後の使用レンズを聞くと、50mmの頻度より35mmの頻度が高いということが分かりました。すなわち、35、85、135mmと言うラインナップです。比較的ワイド側に軸足があることが分かります。一方、105mm派の方のラインナップは50(58)、105、180(200)mmと言うものでした。かく言う私も、ポートレートで昔から58mmレンズを愛用しております。すると、58mmと85mmでは画角の差が意外と少なく、レンズ交換を迷うのです。もちろんそうでない方も多いでしょうが、この考察にあてはまる方も多いのではないでしょうか。まさしく、今回取り上げたAiニッコール105mmF1.8Sは、105mm派の方には待望のレンズだったに違いありません。

今回、この伝統のレンズの思想を継承し、更に進化させた新レンズ「AF-S NIKKOR 105mmF1.4E ED」を発売させていただきます。このレンズもAF-S58mmF1.4Gの設計思想である「三次元描写特性の向上」を念頭に開発したレンズでございます。58mmより少しだけシャープネスに軸足を移しましたが、58mmの画像特性の継承者です。ニコンの新たなる提案をぜひお試しくださいませ。
さてあなたは、85mm派それとも105mm派?